「明大メディア」が歩んだ道のり、中の人が考えたこと

2022年2月執筆

2023年11月リライト

 

運営している「明大メディア」のTwitterがそろそろフォロワー1万人達成を目前に迫っています。

 

・なんで明大メディアを始めようと思ったの?

・中の人はどんな人なの?

・どうして続けられたの?

・今後どうしていこうと思っているの?

などとよく聞かれることから、そのアンサーとしてこの記事を書きました。

 

・自分が「インフルエンサー」にどうして憧れたのか。

インフルエンサーになるために、何を、なぜ、いつから、誰と、どのように発信したのか。

・その道のりや苦難、そして学んだことや思っていることをまとめました。

 

 

よろしくお願いします

 

 

2019.11 始めたきっかけである「意識高い系中島」と「塾生情報局」

よく聞かれること

・どうして始めたの?

→意識高い系中島という匿名ブロガーに声をかけられたから。先行していた塾生情報局を見て自分もうまくいきそうだと思ったから。

・いつから始めたの?

→大学1年生の冬(2019年の11月から)

 

 

明大メディア(旧 明大情報局)を始めたのは、ネットブロガーの「意識高い系中島」の中の人から声をかけられたことがきっかけです。そのため、明大メディアの始まりを説明するために、まずは「意識高い系中島」が何なのか、自分が中島とどう出会ったかというところところから説明します。

 

「意識高い系中島」は、はてなブログ(とTwitter)が盛んだった2018年~2020年あたりに活動していた匿名大学生ブロガーで、文字通り「意識高い系」の大学生が向上心をもって色々なことに挑戦していく、ということをテーマに文章を公開していました。

 

これだけ見ると、意識高い系の大学生のブログなんてよくありそうで、なんてことがないと思われるかもしれませんが、この中島の中の人は、非常に文才があり、毎回明快で気迫がこもったものを出していました。

 

大学生を中心に支持を集めるようになっていました。活動の後半では全国でオフ会をして回ったり、就活イベントを開いたりと多面的な活動をするようになっていきました。

 

顔出しせずペンネームで活動していた匿名の大学生ブロガーに熱狂的なファンがつき、オフ会を全国でやって人が集まるようになっていたのは、全く中島を知らない人から見ると異様だと思います。

 

が、今振り返ると、

・意識高い系の人間が抱えるインサイト(学歴コンプ・貧乏・田舎育ちなどの引け目から、周りの大学生を見返したいと行動し始める)を突いていたこと

・かつ当時ははてなブログTwitterがプラットフォームとして成長期であったことで、全国のギークでナードな大学生とのタッチポイントになっていたこと

など、時代と人の出会いが奇跡的に重なって生まれた現象だったのかなと思っています。

 

※さらに言うと、意識高い系中島は、Twitterで「もしサザエさんの中島が意識高い系だったらどんなことを言うのか」という設定でサザエさんコラ画像をツイートしてバズっていたネタアカウントが最初の始まりで、そのネタ垢ツイッタラーが突然ブログを開設し、中の人が自分語りを始めたところから始まっています。ただ、この辺りの当時のインターネットの雰囲気を説明するのは難しいので、いったん省略します。

 

そして自分も中島に吸い寄せられていた、ファンの一人です。

 

中島はブログを2018年の1月からスタートしており、自分が見つけたのは活動初期の確か2018年3月~4月ごろで、当時高校2年生から3年生になるところでした。

 

自分は高校生の時は、雑誌や小説を読むのが好きで、よく図書室にこもって活字を読み漁っていたのですが、その中で同時にネットにも入り浸って、当時盛んだったはてなブログやLivedoorBlog・Twitterなどを徘徊していました。そこで中島を見つけ、文章を読んで引き込まれ、その執筆活動を初期からずっとフォローしていました。

 

自分は大学付属の高校に通っていたので、当時はそのまま進学するか、外部へ出るために受験勉強を始めるか進路に悩んでいました。そこで、意識高い系中島の文章を読んで、大学に入ったら自分もこれくらい爆発させてアクティブに活動したい、と息巻くようになってしまい、結局受験をすることに決めました。

 

そして、無事大学に合格し、まっさきに彼の開いていたオフ会に参加し中の人に出会います。中の人は、都内の某一流大学に通う高身長爽やか大学生でした。

 

その後もオフ会を手伝ったりしていました。

 

そして、初対面から半年ほど経ったある時、中島から「友人に、塾生情報局という慶應大学の学生向けのwebメディアをやっている奴がいるんだけど、その明治大学版をお前がやってみないか?」と声をかけられました。

 

それが2019年の10月頃のことで、そこでSNSアカウントを開設して、発信を始めました。

 

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「塾生情報局」についての軽い説明

 

塾生情報局は大学の試験や学事日程、サークルについて発信する、慶應義塾大学の学生のためのウェブメディア。履修を組む時に気を付けること、慶應生が知っておくべき大学の制度などを学生目線で発信しており、2022年現在のTwitterフォロワーは2.2万人、インスタも1万人に切迫する超ド級のアカウント。慶應義塾大学Twitterが1.2万人なので、その大学公式を学生が作ったものが優に超えています。

 

そして、この塾生情報局の成功を見ていた中島から、パクって明治大学の情報局をやってみろということで僕に声がかかったのでした。

 

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大学生向けのwebメディア、塾生情報局を見ていて、なんとなく明治版に需要がありそうかもな、ということは感じました。

 

以下文章にするのが面倒なので箇条書きにします。

 

・一般的な学生は、友達に誘われてサークルに入るし、友達とはぐれたくないので一緒に授業を受ける

・また、Twitterで事前にハッシュタグで情報を集めたり、#春から明治 で入学式に一緒に行く友達を彼らが作っていたりもする

・要するに、周りから情報に置いて行かれるのが怖いからみんな群れている

・ただ、実際は群れずに自分の意思で動きたい学生も一定いるのではないか?

 

 

・自分は、意識高い系で尖っていたので、周囲に合わせたりせずに、大学の新歓や授業を自分の興味があるものを優先して受けていた。

・今思うと、大学生活を効率的に過ごそうと自分の力で調べていたので、それを整理して人に説明することができた。

・友達以外の情報源を自分が提供できれば、もっとのびのびと学生生活をみんな送れるんじゃないかと感じた

例)新歓期などは、自らの足でサークルのブースを片っ端から一人で回って、履修はシラバスとHPを細部までしっかり読み込んで、ぼっちに冷たい大学生活をサバイブしていた。

 

・かといって、自分は新歓期間に友達が少なく情報が集められず苦労したことも多かったので、僕のような陰キャ学生からしたら自分のやっていることってすごく良いことだな、と。運営していくにつれて、やりがいは強くなっていった。

 

とりあえずやってみる、塾生情報局の真似をしてみる

フォロワーが伸びていく

画面の向こう側の学生の課題感が見えてくる

やりがいを感じられてより力を入れる

というループに入っていきました。

 

個人的に思うこととして

・大学は入学時点で8割方その役目を終えている。

・特に私立文系の教育内容は、あまり意味をなしていない。

・自分も大学の授業の内容には意味を見出していなかった。

だから

・大学に意味がないからこそ、そこで下手に損をしたり無駄な苦労をする必要もない。

・楽できるところは楽して、あとは自由に大学生活を過ごしてほしい。

・その手助けをする行為には、少なくとも多少は意味があるだろう

と考えました。

 

 

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よく聞かれること

・どんなモチベーションでやってるの?続けられたの?

→メディアをやりたい、インフルエンサーになりたい、大学の間にデカい事をしたいという承認欲求

→とりあえずやってみる、時代にマッチし伸びる、誰の何を解決しているかの課題が見えてきてやりがいが出てきてもっとやる、の良いサイクルに入っていたから。

 

また、僕は当時から表現を通じて人の心を奮い立たせ、熱烈な読者やファンに支えられ、経済的に独立し、やりたいことを追求する中島のような「インフルエンサー」に憧れていました。

 

僕が高校生だった、2017年~2019年あたりは、ブロガーやインフルエンサーの絶頂期で、田端信太郎はあちゅう、イケダハヤト、藤沢和希、ちきりん、八木仁平、マナブさんなどの輝きを見ていました。

 

それで「あんな風に自由に生きて、発信して多くの人から承認されたい!」と発信者に希望や夢を抱いていました。

 

その強い憧れによって僕は、ラグビーで靭帯断裂したことをきっかけに、大学付属推薦を蹴って退路を断ち、駿台に通い詰めて一生懸命勉強し、明治大学に受かったので、合格した直後から、さっそくTwitterとブログで発信を始めました。

 

最初は受験勉強、小説の書評、ラグビーライフハックなど、多種多様なジャンルの発信を試しました。しかし、一向に反応は増えませんでした。それでも何者にもなれない自分自身をなかなか認めることができなかったため、しばらく更新は続けました。

 

そして、エントリー数はブログ開始から8か月ほどで120記事ほどまで増えたところで、依然として増えないアクセスボードを見て、僕はやっと、その自らの無能さと何者でもなさを受け入れることにしました。

 

「自分には人に教えられるほどの知識も経験も、何もない!」

「際立った文才や世界観も、ほんとうに何にもない!」

 

そのことに気づけて、身に染みたのが1年生の前半、18歳の時でした。典型的な意識高い系なだけで何も伴っていない大学生がブロガーの養分となって終わっていました。

 

その状況で、中島から冒頭の「明治大学の情報局をやってみないか」という声がかかりました。幸運でした。

 

明治大学の自分より下の学生に向けて、大学の制度やお得な情報を流していく。これなら自分にもできそうだ、と。自分の持てる知識・経験と、人々が求める情報が初めて重なり合ったところから、明大メディアは始まりました。

 

2020.2  始めた当初の思い・コロナの追い風

よく聞かれること

・ゼロイチはどうやって立ち上げたの?最初が大変じゃない?

→先行例があったのでそれを真似してみるだけだった。自分の課題感が解決できている実感があったのと、Twitterの更新は呼吸だったので大変ではなかった。

→始めた一年目でコロナがぶつかったのは追い風だったのはあると思う

 

2020年の頭は、塾生情報局を見よう見まねで、流行りのハッシュタグや、明治の芸能人やスポーツ選手のニュースに乗じて、ちまちまと相互フォローでフォロワーを増やしていきました。あとはプレゼントキャンペーンを行って、強引にフォロワーを増やそうとして、一部で叩かれたりしていました。

 

そうやって試行錯誤しているところに、コロナという大きな追い風が吹きます。

 

1年生の終わりに未曾有のパンデミックが始まってから、大学の対応は半年近く右往左往することになります。当然そこに生じたのは学生側の圧倒的な情報不足と大混乱。

 

明大メディアはその不安の解消のため、大学のオンライン授業についての対応や、新入生が今やるべきことをどんどん配信していきました。といっても、そこまで負担ではなく、自分も大学が始まらなくて暇だったので、チェックするついでにまとめていただけなんですが。

 

当時は、起こること全てが例外で、みんなパニックになっていたので、画面越しにすがるような思いで明大メディアをチェックする学生が目に浮かびました。だから、コロナが流行りだした春の時期は、非常に発信にやりがいを感じられました。

 

(実際、1年後に後輩と顔を合わせた時、中の人であることを明かすと、引くほど驚かれると同時に、「このアカウントのおかげで何度も助けられた」という多数の声をもらいました。これ以上に嬉しいことはありませんよね。)

 

そんなこんなで明大メディアを頑張って更新しているうちに、300人ほどだったTwitterのフォロワーは1か月ほどで2700人まで一気に増えたのでした。

 

2020.5  ライバル「明治大学情報局」問題

よく聞かれること

明治大学生向けのwebメディアって似たようなところもう一個なかった?

→あった。明治大学情報局と争うことになった。

・なんで先行があったのに明大メディアやったの?

→ライバルがきちんと求められているものを出せておらず、いまいちで自分の方が理想を作れると思ったから。あと、全くライバルがいなくてホットな状況なんてない。

 

さて、明大メディアにはすでに同じようなことをやっている先行団体がいました。「明治大学情報局」です。

 

2020年のコロナの流行に乗じて(?)2つとも急速にフォロワーを増やした両アカウント。当時は明大メディアに名称を変える前だったので、明大情報局と明治大学情報局が別々で発信しているという状況でした。

 

案の定、SNSでは「どっちが本物なんだ?」「どっちかがどっちかに吸収合併されてほしい」という声も多数タイムライン上で目にするようになります。

 

この2つが違う団体というのは学生からしたら紛らわしいったらありゃしません。中の人の僕も実際そう思っていました。

 

だったので、僕は明大メディアをやる意味について、とても悩むことになりました。

 

こういうことを言うと「もっと始める前に調べておけば良かったのでは?」「市場分析が甘かったのでは?」という声が聞こえてきそうですね。そうですね、おっしゃる通りです。(うるせえ一生椅子に座ってお行儀よくグルディスしとけやカス)

 

でも、明治大学情報局は、自分が始めた2020年当初、Twitterのフォロワー1000人もいかないような弱小アカウントだったんです。対して僕はフォロワー300人ほど。どちらのメディアも、ちょっと友達が多い個人アカウントにも及ばないほどで、五十歩百歩だったのです。

 

このタイミングで僕が”正しい”判断をするのはめちゃくちゃ難しかった。要するに競合は自分が諦められるほど大きくなかった一方で、合流しようと思えるほどの可能性もまだ見えていなかったのです。

 

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明治大学情報局は2019年の頭にアカウントを作って発信を始めていましたが、1年近く停滞していたようでした、

 

ただ、向こうはどうやら団体として複数人で動いており、どうやらバックにプログラミング系の会社や学生団体がついているらしいということもわかってきます。

 

簡単に勝てる相手ではない。正面からやりあえば、間違いなく負ける。勝つor負けないためには、何かしらの工夫や差別化が必要になってきます。さあ、どうする。

 

そこでよくよく、明治大学情報局のページをチェックしてみると、足りないな?と思う部分が3つほど見つかりました。

 

①在学生というより明治大学を志望する高校生に向けた発信をしているように見えた。

(もしくは、明治大学の情報を誰に向けて届けているかが不明確に見えた。)

SEOと検索KWを意識したコンテンツが多かったが、内容が表面的で

記事のタイトルや読者の疑問に対して、本質的な回答ができていないように見えた

③学生ノリ、傲慢さが垣間見える冗長な文章が目立っていた。

 

情報局のメンバーが見たら「そんなことはない!うちはちゃんとやっている!」と言われそうですが、僕からはこう見えました。そして、であれば自分は

 

  • 内部の現役の明大生向けにターゲットを絞り
  • TwitterInstagramをフル活用して双方向で疑問にきちっと答える
  • エンタメ要素を排除して、プロ意識と誠実さをもって発信する

 

こうすれば追い越すことはできないにせよ、明大メディアにも存在意義が生まれるのではないかと考えました。そこで僕は開設しようか悩んでいたwebサイトは潔く諦め、Twitterとインスタに発信を集中させます。WEBマーケティング風に言うなら、ユーザーの流入経路がSEOからSNSへと変わっていることを察知して対応を変えたのです。

 

その他にも早稲田に落ちてしまうほどの足りない脳みそを振り絞り、さまざまな工夫を行いました。詳しくは説明しませんが、いつも見てる人はわかると思います。

 

徹底的なユーザー目線、限られた自分のリソースの効率的な配分、先行モデルである塾生情報局の動向の徹底的な研究によって、2番手としての戦略を尽くしていきました。

 

対する明治大学情報局もその後、明治大学版の2ちゃんねる的な掲示板や、サークル紹介アプリをリリースしていきました。ただ、それらは正直どれも微妙で、実際周囲の友人の話を聞いたりタイムラインを眺めている感じでも、評価もいまいちなようでした。ライバルだから下に見たいという自分の先入観を抜きにしても、クオリティが下がってきている印象がありました。

 

それでともかく、明治大学情報局に対して、明大メディアにもできることはあるんだと自分に言い聞かせて、もくもくと活動を続けたのでした。

 

ただ、創業者が引退して代替わりしつつも運営し続ければ、70%程度のクオリティになることは仕方がないことだと俯瞰すると思います。自分もいずれ後輩に任せようとしたら同じ問題にぶつかる未来だと思うので、引き継いで組織として続けられていることは素直に負けているなと思います。

 

 

 

あと、最初の半年間こちらが明大情報局として、名称を被らせたことについて謝罪とっ弁解をさせて頂きます。

 

先行の明治大学情報局としては、フォロワーを奪われる迷惑極まりない存在に映っていたことは理解しています。営業妨害だと、そちらが怒るのはもっともなことだなと。それは、すみませんでした。

 

なので、指摘された際に、当日中に名称を明大MEDIAに迅速に変更して対応させて頂くことで、「情報局」の称号を譲りました。これが立ち上げから半年経った、2020年の5月13日のことです。

 

 

そして2022年現在、名称を変更してから1年9カ月ほど経っています。学生から明治大学情報局と明大メディアが違うことは、さすがに認知されてきたかなと思っています。

 

そしてそのうえで明大メディアも一定の支持を集めています。これは先述した徹底した学生目線の発信を、明大生のみなさんが判断してくれた結果だと思っています。

 

情報局メンバーに「アフィカス」などと誹謗中傷されることもありましたが、これまでもこれからも反応しないようにしていきます。

 

2020.8  新入生シーズン終了によるネタ切れと停滞

よく聞かれること

・どのくらいのペースで更新しているの?

→学生が必要だと思ったタイミングで投稿する。

長期休暇などはほとんと更新しない。

新入生が入ってくる2月~4月は新入生向けに重点して投稿していた。

2,3年生向けに出せることは少なかった。

 

2年生の後半になると、大学生活も落ち着いてくるので、明大メディアが出せるネタもいよいよ尽きてきます。学生からの反応やアクセス数も減ったことで辞めようかとも考えました。

 

ただ、自分はサーバーを借りていたわけではなくSNSメインだったので、維持費用がかかっていませんでした。また1人でやっていたので誰かを繋ぎ留めておく必要もありませんでした。

 

そこで僕が取ったのは、続けもしないし、やめもしないということでした。アカウントは消さずに置いておいて、2週間に一回くらいログインして、ロックを解除だけして、また塩漬け。つまり放置です。

 

その間に、他も並行して色々取り組んでいました。

2020.12 コロナのまま迎えた年末

2年生だった2020年、自分のメンタル面はだんだんと悪化していきました。上半期は外出もろくにできず、料理や映画で時間をつぶしたりして大人しくしてましたし、下半期も外出はできるようになったものの、人と会うのは依然としてはばかられるような状況でした。

 

当時は、明大メディアと並行して、筋トレ系のウェブメディアと学生団体を立ち上げていましたが、フルオンラインということもあり、次第にメンバーの集まりが悪くなっていました。(のちに自然消滅。)行動しようにも機会が圧倒的に奪われて、その中でこれは!と思って取り組んだ挑戦も失敗に終わっていました。

 

そしてコロナは一向に明ける様子もないまま、2年生の年末を迎え、

 

「自分は本当に何もできていない」

「取り組みに意味はあるんだろうか」

「コロナがなかったらもっと違う楽しい生活を送っていたんじゃないか」

 

そんな思いに自分は苛まれました。

まあ、少なくない大学生が2020年末に同じことを思ったと思いますが。

 

「2年も終わりになって永遠とパソコンでカタカタやっていて本当にいいんだろうか」

「大学をもっと楽しむ、他の方法があったのではないか」

 

そうして悶々とした気分のまま年が明けます。

 

2021.2 メンタルが限界を迎え、新宿の公園で泣く。運営2年目へ

・どうしてそんなに長く続けられたの?

→厳密に更新し続けたわけではなく、やめなかっただけ。あとは自分が中高と図書室に引きこもった反動で、何者かにならないといけないという強烈な使命感があったため。

毎年新入生を囲い込むだけのシンプルなモデルである大学情報局は、途中で伸び悩む時間は多く、自分はそういうモチベーションでやっていた分辛くなっていた。(今思うと独りよがりだが、、)

 

自分はなんでも行動だと思って意図的に迷ったら突っ込むようにしていたことで

2年生の終わりまでに、今すぐに叫びたくなるような黒歴史がいくつか残していました。

 

もちろん自分にも恐怖心、羞恥心、躊躇いなど人間らしい感情の機微はありましたが、何かしらのインフルエンサーに、何者かになりたいという欲望が強すぎて、黒歴史になろうと何になろうと知るか、という気持ちで独りよがりなことをやっていました。

 

そうやって、たくさんの挑戦を行い恥をさらしまくったのですが…残念なことに、2年生の2月時点で僕は何者にもなれていませんでした。明大メディアのフォロワーは当時3000人にも満たないくらいで、全くなんでもありませんでした。

 

今思えば、もっといろんな人から考えを聞いたり、頼ったりすれば良かったなと思います。広告研究会、学祭実行委員会、大学生協、協議会、就活支援の無料カフェ、長期インターンなどで不特定多数の人と会っていれば良かった。そもそも大学でラグビーを準体育会でいいから続けるべきだったのかもしれません。その他にも、無限の選択肢があったと思います。

 

明大メディアだって、もっと早く人数を増やして、ダメもとでも企業に営業していったほうが良かったかもしれません。それでも僕は視野が狭いなりに精一杯を尽くしていたんですが。

 

そして、だからこそ、2年生2月時点で自分自身が「大学1,2年生をいろいろやってた、なんか変な奴」で終わりかけていたことは、意識高い系大学生として致命的でした。

 

このまま変なだけの奴として、3年生になって、4年生になって、大学生活が終わる。

自分は友達はいない、彼女もいない、お金もない、何かやりたいビジョンも見つからないまま終わる

自分はただただ無能だと気付かされて、何も始められずに終わっていく

そういう恐怖が湧いてきました。

 

結果が伴っていない事実が、静かに僕をのぞき込んできていて、避けることができないバッドエンドに導かれているような、そんな寒気がしてきました。

 

サークルの友人に誘われてお酒を飲まされて、一回、新宿中央公園で号泣していました。

 

自分が何者なのかわからない。2年経っても結果が出せない。

自分の存在がいつまでも証明できない、担保されない。

靭帯断裂して、ラグビーを諦めた意味は?

松葉づえつきながら、独りぼっちでリハビリした意味は?

いけすかない予備校の先生と予備校で余裕ぶっているクラスメイトに頭下げながら、必死こいて一人で勉強した意味は?

私文の大して変わらない大学に行くために、付属推薦の学習院を蹴った意味は?

自分のコミュニティでありアイデンティティだった、ラグビーを大学でやめた意味は?

その他にも恥を捨てて、全部挑戦して、圧倒的に努力したのに?

なんだこのざまは?コロナのせいなのか?

違うだろう。それは、自分が無能だったからなんだ。

 

これらの感情をまくしたてた記憶があります。過去の選択に意味があったと言えるほど、当時の自分には、納得できる結果が追い付いていませんでした。明大メディアのTwitterのフォロワーはこの時2700人でした。

 

周りからは、面白がられやばいやつ扱いをされました。「トモヒロは頑張ってるんだね」という声はかけられました。いや、全然ちゃうねんと。

 

確かに「結果」が出ていないとしても「過程」を認めてくれる人がいれば幸せになれるのかもしれない。サークルの友達がいれば、恋人がいれば「過程」を認め合って穏やかに生きていくことができるのかもしれません。

 

ただ、自分は「結果」であり、自分自身の存在意義をかけた戦いに挑んでいるのであって、「過程」を誰かに認められれば済むものではありませんでした。

 

そして、「結果」はお金や社会的な地位ということだけではなく、自分が客観的に認められる大きな成果を出すということです

 

これまでにも書いている、根源的な「自分が何者にもなれずに、何の物語も始められずに死んでいくこと」に対する恐怖はあまり伝わりませんでした。

 

 

話はそれますが、

たいていこういった「過程」と「結果」のような抽象的なことを、僕が真顔で話し出すと、誰もついてこれなくなってしまってドン引きされます。

ただ、自分としては朝井リョウの何者などが描いているように「みんなが自分らしく生きていける」という新しい宗教に誰もが無意識に入らされていること、その宗教についてきちんと向き合えば同じ考えに至るはずだと思っています。

 

その思いに共感できる感性をもった人間はあの時の新宿中央公園にはいなくて、とても悲しかったです。「そうか、自分と同じ悩みを抱えた人間はここにはいないんだ。」という孤独感は今もあって、これを将来語れる人と出会えたら良いなと思っています。

 

※子供っぽいですが、以下残しておきます

 

そうして最悪の気分で帰路につき、ドンキのクライナーとクッキーの混ざった吐瀉物を洗面台に思いっきりぶちまけてふて寝して、また翌朝、僕はまたいつものように駅前のドトールに向かったんですよ。まじおこ。

 

明大メディアがまた新入生シーズンで爆伸びすることはわかっていました。だから、何が何でも、ゲロ吐いてでも一人で結果出してやるよ、と

 

その後、コロナの追い風が吹き続けてくれたおかげもあって、おかげさまでフォロワーは2700人から6400人まで一気に伸ばします。

 

フォロワー6000人。有名人とまではいかないけど、ちょっと自慢できる程度くらいでしょうか。自分としても「まあギリ許せる」くらいの結果にはなりました。

 

20歳として3年生の春を迎えます。

2021.4  就活とコラボであっという間に過ぎた3年生

3年生は明大メディアをやりつつも就活があったりシェアハウスに入ったりするなど、コロナを経てオンライン以外で活動の幅を広げようとしてみました。

 

2カ月浅草橋のゲストハウスに泊まって明大生向けにおすすめの記事を書いてみたり、6カ月ユニネストの学生寮に入居しながら取材して、明治の新入生に入ってもらう広告にしようなどと試みました。

 

また、就活も早めに始めました。早めに始めたのは、自分が出遅れたくなかった不安もありますが、将来的に明大メディアで就活コンテンツを出したいと思ったためでした。

 

本当にゼロベースから始めたので、色んな企業を調べて、自分のやりたいことを調べて、ESを書き、慣れない面接を受け、グルディスで落とされ、やっとのことでインターンに参加して「なんか違う…」となっていました。

 

その中で、新卒就活エージェントのキャリアチケットさん、時間割アプリのペンマークさんの広告を出させて頂くことができました。

 

就活Youtuberの動画にも出始めました。これはまともな人間からしたら実名顔出しなんて狂気の沙汰ですが、僕はもともと大学生活には馴染めておらず、周りに引かれたくないと思われるほどの友達がいなかったので、出まくりました。

 

僕ごときの一般人が出たところで、どんなに露出しようとみんな覚えていないとも思っていたので特に気にしませんでした。

 

これらの活動を通じて、新卒就活というマーケットで、就活イベント・webサイト・webメディア・サービスのさまざまな事情を知ることができたかなと思います。

 

他にも、新歓期間にはフリーペーパー工房さんのユニゲートを紹介させて頂いたり、飲食店を紹介したり、明大祭の宣伝を協力させて頂いたり。ユニネスト学生寮の広告をお金をもらって実施したり、社会人との繋がりが増えたりして人との出会いが増えていきました。

 

また、3年生の終わりに後輩の明大生に2人入ってもらったので、今は発信を引き継いでもらおうと頑張っています。

 

2021.12 本物のインフルエンサーと自由人を目にし、自分の小ささに打ちひしがれる現在

でもインフルエンサーにはもっと素晴らしい才能と努力と思考を繰り返して、何者かになって、経済的に完全に独立している方々がたくさんいます。半年や数カ月でそこにたどり着く人間だっています。

 

上記の文章は彼らからすると、「で?」という内容です。コスパ鬼悪い上に月10万にもなってないんですから。そもそもこのメディアで月100万とか稼げていたら良かったのにと思います。

 

ただ、自分でゼロから1円を稼いだ経験、フォロワーは学生でありながらも1万人までSNSを伸ばせたことから学べたことも多かったかなと思っていて

ユーザーへの洞察やマーケット感覚

自分でオーナーシップを持って「事業」を進めて人を巻き込む楽しさ

組織を作るということへの解像度

などが学べたのは非常に今後に繋がるかなと思っています。

 

また発信を通じて、自分のやりたいことの解像度、マーケティングの視座も上がったと思っています

・一番手で想起を取られるとひっくり返せない。SEOメディア(明治大学情報局)には勝てなかった。

流入源から逆算してハックしていかないといけない時代に合わせる

・ただ今後の時代の流れとして、量より質になること

・自分の圧倒的なユーザーファーストはきちんと届いていた

・自分が大切にしたいことは、本質的なものを作って届けたい

 

ここまで偉そうに10000文字も語っておいてなんですが、

過程とかストーリーとか気持ちを綴ったコンテンツって需要ないんですよ。プロセスエコノミーだとか言われてますけど。そんなものはない。ほとんどの人間はまず最初に、圧倒的な結果を出さないと始まらないのです。

 

僕は「何者かになりたい」「有名になりたい」という思いが根底のモチベーションの意識高い系大学生でした。今もそうです。

 

しかし、明大メディアが成功したのは、自分の矮小な自己顕示欲ではなく、相手目線の圧倒的な利他の精神によるものでした。

 

「何者かになりたい」「生きる意味を見つけたい」という自分が苦しんできた、根源のモチベーションはとても空虚なものだったと、最近になってやっと、自分の中で認められつつあります。

 

もちろん、だからこそ頑張って続けられたところもあるのですが。これを生きるモチベーションにするのはちょっと違うかなとも思っています。

 

なので、明大メディアは、今後はしかるべき情報と選択肢を学生に与えるという本来の目的に立ち返って完成させていきたいと思います。

 

プライベートにおいても自分がどうなりたいか、という部分ではなく、相手が欲しがっている者をどう満たすかという部分に着目すればおのずと生活が楽しくなっていくんだと思います。

 

あとは、資本主義の指標に従って、もっと金になりやすくて、フォロワーが増えていくものを探していきたいと思います。

2022.4 明大メディアの今後と、4年生で取り組みたいこと

今後について。僕が引退したら、発信媒体は陳腐化して、クオリティが下がっていくことは間違いないでしょう。

 

後輩に任せて、自分の理想通りに成長し続けていってくれることが理想ですが、それは(今手伝ってくれている2人には申し訳ないけど)難しそうです。

 

自分より主体的に動けて能力がある人間を、自分のもとに置かせることはできない。当たり前なのですが。。そこまでできたら僕はとっくに起業して売却して引退できてます。

 

だから売却ができないか検討しつつ、できなければ仕組み化して工数を減らしつつ、後輩に任せながら卒業後も運営していくという感じになりそうです。

 

明大メディアを作った人間の、明大メディアに関する出来事のまとめでした。他にもみっともなく自分語りしたいことはたくさんありますが、いったん以上とさせて頂きます。

 

ありがとうございました。