「明大メディア」が歩んだ道のり、中の人が考えたこと

運営している「明大メディア」のTwitterがそろそろフォロワー1万人達成を目前に迫っています。

 

この記事では、その記念に、自分が大学生として「インフルエンサー」にどうして憧れたのか。インフルエンサーになるために、何を、なぜ、いつから、誰と、どのように発信したのか。その道のりや苦難、そして学んだことや思っていることをまとめました。

 

フォロワー1万人にちなんで、文章も1万文字になってます。うまい。「何もうまくないわもっと簡潔に書け」?すみません、無理でした。どうぞ。

 

 

2019.11 始めたきっかけ__意識高い系中島と塾生情報局

明大メディア(旧 明大情報局)を始めたきっかけはインターネットの匿名ブロガー「意識高い系中島」の中の人の誘いです。

 

「意識高い系中島」は、向上心や独立自尊的な思想を切れ味鋭く綴ることで、大学生など若い世代を中心に支持を集めていたブロガーです。自分もそのファンの一人で、高校生の時に彼の文章を読んで引き込まれ、その執筆活動を初期から(2018年ごろ~)ずっとフォローしていました。そして、大学に入って実際に彼の開いていたオフ会に参加して中の人に会いに行き、その後も活動を時々お手伝いする関係にありました。

 

そして、初対面から半年ほど経ったある時「塾生情報局の明治大学バージョンをお前がやってみないか?」と彼から声をかけられました。それが2019年の10月頃のことです。

 

 

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「塾生情報局」について

 

塾生情報局は大学の試験や学事日程、サークルについて発信する、慶應義塾大学の学生のためのウェブメディア。履修を組む時に気を付けること、慶應生が知っておくべき大学の制度などを学生目線で発信しており、2022年現在のTwitterフォロワーは2.2万人、インスタも1万人に切迫する超ド級のアカウント。慶應義塾大学Twitterが1.2万人なので、その大学公式を学生が作ったものが優に超えています。

 

そして、この塾生情報局の成功を見ていた中島から、パクって明治大学の情報局をやってみろということで僕に声がかかったのでした。

 

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話を自分の大学入学時に戻します。大学の新歓の時期を思い出してほしいんですが、だいたいみなさん通常4,5人組のクラスメイトやSNSで作った友達と群れを成して、新歓活動や4,5月の授業を受けますよね。(どうせすぐに会わなくなるのに。)

 

自分はそういった器用な立ち回りをしませんでした。(というか、できませんでした)。周囲に合わせるよりは自分の思ったように動きたいと思っていたので、新歓期は自らの足でサークルのブースを片っ端から一人で回ることで情報を集め、履修はシラバスとHPを細部まで読み込む力技で、ぼっちに冷たいはずの大学生活をサバイブしていました。

 

ましてやTwitterで事前にハッシュタグで情報を集めたり、#春から明治 で入学式に一緒に行く友達を彼らが作っていたなんて知りもしませんでした。

 

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自分はそんな人間だったので、塾生情報局を見た時に大学系メディアの意義と可能性はすぐに理解できました。これの明治版をやれば、かつてのように新歓期間に友達が少なく情報が集められなかった僕のような人間からしたらめっちゃ助かるな、と。運営していくにつれて、その思いは強くなっていきました。

 

大学は入学時点で8割方その役目を終えており、(特に私立文系の教育内容は)ほとんどど意味ないよねっていう意見がありますよね。

 

自分も大学の教育から学びたいという思いはあまりなかったです。ただ、大学に意味がないからこそ、そこで下手に損をしたり無駄な苦労をする必要もない。楽できるところは楽して、あとは自由に大学生活を過ごしてほしい。その手助けをする行為には、少なくとも多少は意味があるだろうと思いました。

 

 

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個人的な話になるのですが、僕は当時から表現を通じて人の心を奮い立たせ、熱烈な読者やファンに支えられ、経済的に独立し、やりたいことを追求する中島のような「インフルエンサー」に憧れていました。

 

僕が高校生だった、2017年~2019年あたりは、ブロガーやインフルエンサーの絶頂期で、田端信太郎はあちゅう、イケダハヤト、藤沢和希、ちきりん、八木仁平、マナブさんなどの輝きを見ていました。

 

それで「あんな風に自由に生きて、発信して多くの人から承認されたい!」と発信者に希望や夢を抱いていました。

 

その強い憧れによって僕は、ラグビーで靭帯断裂しながら、駿台に通い詰めて必死こいて勉強し、大学付属推薦を蹴り、明治大学にたどり着き、合格した直後から、さっそくTwitterとブログで発信を始めました。

 

最初は受験勉強、小説の書評、ラグビーライフハックなど、多種多様なジャンルの発信を試しました。しかし、一向に反応は増えませんでした。それでも何者にもなれない自分自身をなかなか認めることができなかったため、しばらく更新は続けました。

 

そして、エントリー数はブログ開始から8か月ほどで120記事ほどまで増えたところで、依然として増えないアクセスボードを見て、僕はやっと、その自らの無能さと何者でもなさを受け入れることにしました。

 

「自分には人に教えられるほどの知識も経験も、何もない!」

「際立った文才や世界観も、何にも!ない!」

 

そのことに気づけて、身に染みたのが1年生の前半、18歳の時でした。

 

だから、今振り返ると、夢を打ち砕かれた状況で、中島から「明治大学」という発信のテーマが偶然降ってきたことは幸運でした。明治大学の自分より下の学生に向けて、大学の制度やお得な情報を流していく。これなら自分にもできそうだ、と。自分の持てる知識・経験と、人々が求める情報が初めて重なり合ったところから、明大メディアは始まりました。

2020.2  始めた当初の思い・コロナの追い風

2020年の頭は、塾生情報局を見よう見まねで、流行りのハッシュタグや、明治の芸能人やスポーツ選手のニュースに乗じて、ちまちまと相互フォローでフォロワーを増やしていきました。あとはプレゼントキャンペーンを行って、強引にフォロワーを増やそうとして、一部で叩かれたりしていました。

 

そうやって試行錯誤しているところに、コロナという大きな追い風が吹きます。

 

1年生の終わりに未曾有のパンデミックが始まってから、大学の対応は半年近く右往左往することになります。当然そこに生じたのは学生側の圧倒的な情報不足と大混乱。

 

明大メディアはその不安の解消のため、大学のオンライン授業についての対応や、新入生が今やるべきことを全力で配信していきました。といっても、自分も大学が始まらなくて暇だったので、チェックするついでにまとめていただけなんですが。

 

当時は、起こること全てが例外で、みんなパニックになっていたので、画面越しにすがるような思いで明大メディアをチェックする学生が目に浮かびました。だから、コロナが流行りだした春の時期は、非常に発信にやりがいを感じられました。

 

(実際、1年後に後輩と顔を合わせた時、中の人であることを明かすと、引くほど驚かれると同時に、「このアカウントのおかげで何度も助けられた」という多数の声をもらいました。これ以上に嬉しいことはありませんよね。)

 

そんなこんなで明大メディアを頑張って更新しているうちに、300人ほどだったTwitterのフォロワーは1か月ほどで2700人まで一気に増えたのでした。

2020.5  ライバル「明治大学情報局」問題

さて、明大メディアにはすでに同じようなことをやっている先行団体がいました。「明治大学情報局」です。

 

2020年のコロナの流行に乗じて(?)2つとも急速にフォロワーを増やした両アカウント。当時は明大メディアに名称を変える前だったので、明大情報局と明治大学情報局が別々で発信しているという状況でした。

 

案の定、SNSでは「どっちが本物なんだ?」「どっちかがどっちかに吸収合併されてほしい」という声も多数タイムライン上で目にするようになります。

 

これ違う団体なんですよ、紛らわしいったらありゃしませんよね。大丈夫です、中の人の僕が一番そう思っていました。

 

だったので、僕は明大メディアをやる意味について、とてもとても悩むことになりました。

 

こういうことを言うと「もっと始める前に調べておけば良かったのでは?」「市場分析が甘かったのでは?」という声が聞こえてきそうですね。そうですね、おっしゃる通りです。(うるせえ一生椅子に座ってお行儀よくグルディスしとけやカス)

 

でも、明治大学情報局は、自分が始めた2020年当初、Twitterのフォロワー1000人もいかないような弱小アカウントだったんです。対して僕はフォロワー300人ほど。どちらのメディアも、ちょっと友達が多い個人アカウントにも及ばないほどで、五十歩百歩だったのです。

 

このタイミングで僕が”正しい”判断をするのはめちゃくちゃ難しかった。要するに競合は自分が諦められるほど大きくなかった一方で、合流しようと思えるほどの可能性もまだ見えていなかったのです。

 

 

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明治大学情報局は2019年の頭にアカウントを作って発信を始めていましたが、1年近く停滞していたようでした、

 

ただ、向こうはどうやら団体として複数人で動いており、どうやらバックにプログラミング系の会社や学生団体がついているらしいということもわかってきます。

 

簡単に勝てる相手ではない。正面からやりあえば、間違いなく負ける。勝つor負けないためには、何かしらの工夫や差別化が必要になってきます。さあ、どうする。

 

そこでよくよく、明治大学情報局のページをチェックしてみると、足りないな?と思う部分が3つほど見つかりました。

 

1つ目に高校生に向けた発信をしているように見えた。(もしくは、明治大学の情報を誰に向けて届けているかが不明確に見えた。)

2つ目にSEOを意識しすぎているせいか、記事のタイトルや読者の疑問に対して、文章の内容がよくズレていた。

3つ目に学生ノリ、傲慢さが垣間見える冗長な文章が目立っていた。

 

情報局のメンバーが見たら「そんなことはない!うちはちゃんとやっている!」と言われそうですが、僕からはこう見えました。そして、であれば自分は

 

  • 内部の現役の明大生向けにターゲットを絞り
  • TwitterInstagramをフル活用して疑問にきちっと答え
  • エンタメ要素を排除して、プロ意識と誠実さをもって発信する

 

こうすれば追い越すことはできないにせよ、明大メディアにも存在意義が生まれるのではないかと考えました。そこで僕は開設しようか悩んでいたwebサイトは潔く諦め、Twitterとインスタに発信を集中させます。WEBマーケティング風に言うなら、ユーザーの流入経路がSEOからSNSへと変わっていることを察知して対応を変えたのです。

 

その他にも早稲田に落ちてしまうほどの足りない脳みそを振り絞り、さまざまな工夫を行いました。詳しくは説明しませんが、いつも見てる人はわかると思います。

 

徹底的なユーザー目線、限られた自分のリソースの効率的な配分、先行モデルである塾生情報局の動向の徹底的な研究によって、ありとあらゆる弱者の戦略を尽くしていきました。

 

対する明治大学情報局もその後、明治大学版の2ちゃんねる的な掲示板や、サークル紹介アプリをリリースしていきました。ただ、それらは正直どれも微妙で、実際周囲の友人の話を聞いたりタイムラインを眺めている感じでも、評価もいまいちなようでした。ライバルだから下に見たいという自分の先入観を抜きにしても、クオリティが下がってきている印象がありました。

 

あ、別にディスってないですよ。これは、運営が代替わりしたせいでしょう。自分もいずれ後輩に任せようとしたら同じ問題にぶつかる未来だと思うので、むしろよく引き継げて続いてるなと思います。

 

それでともかく、明治大学情報局に対して、明大メディアにもできることはあるんだと自分に言い聞かせて、もくもくと活動を続けたのでした。

 

 

 

 

あと、最初の半年間こちらが明大情報局として、名称を被らせたことについて謝罪とっ弁解をさせて頂きます。

 

先行の明治大学情報局としては、フォロワーを奪われる迷惑極まりない存在に映っていたことは理解しています。営業妨害だと、そちらが怒るのはもっともなことだなと。

 

それは、すみませんでした。

 

なので、指摘された際に、当日中に名称を明大MEDIAに迅速に変更して対応させて頂くことで、「情報局」の称号を譲りました。これが立ち上げから半年経った、2020年の5月13日のことです。

 

 

そして2022年現在、名称を変更してから1年9カ月ほど経っています。学生から明治大学情報局と明大メディアが違うことは、さすがに認知されてきたかなと思っています。

 

そしてそのうえで明大メディアも一定の支持を集めています。これは先述した徹底した学生目線の発信を、明大生のみなさんが判断してくれた結果だと思っています。

 

情報局メンバーの「アフィカス」などの誹謗中傷については、これまでもこれからも反応することはありませんが、ご容赦頂けると嬉しいです。

2020.8  新入生シーズン終了によるネタ切れと停滞

2年生の後半になると、大学生活も落ち着いてくるので、明大メディアが出せるネタもいよいよ尽きてきます。学生からの反応やアクセス数も減ったことで辞めようかとも考えました。

 

ただ、自分はサーバーを借りていたわけではなくSNSメインだったので、維持費用がかかっていませんでした。また1人でやっていたので誰かを繋ぎ留めておく必要もありませんでした。

 

そこで僕が取ったのは、続けもしないし、やめもしないということでした。アカウントは消さずに置いておいて、2週間に一回くらいログインして、ロックを解除だけして、また塩漬け。

 

つまり放置です。その選択に合理性は皆無。

 

他も並行して色々取り組んでいました。

2020.12 コロナのまま迎えた年末

2年生だった2020年、自分のメンタル面はだんだんと悪化していきました。上半期は外出もろくにできず、料理や映画で時間をつぶしたりして大人しくしてましたし、下半期も外出はできるようになったものの、人と会うのは依然としてはばかられるような状況でした。

 

筋トレ系のウェブメディアと学生団体を立ち上げたものの、次第にメンバーの集まりが悪くなっていきます。(のちに自然消滅。)行動しようにも機会が圧倒的に奪われて、その中でこれは!と思って取り組んだ挑戦も失敗に終わっていました。

 

そしてコロナは一向に明ける様子もないまま、2年生の年末を迎え、

 

「自分は本当に何もできていない」

「取り組みに意味はあるんだろうか」

「コロナがなかったらもっと違う楽しい生活を送っていたんじゃないか」

 

そんな思いに自分は苛まれました。まあ、少なくない大学生が2020年末に同じことを思ったと思いますが。

 

「2年も終わりになって永遠とパソコンでカタカタやっていて本当にいいんだろうか」

「大学をもっと楽しむ、他の方法があったのではないか」

 

そうして悶々とした気分のまま年が明けます。

2021.2 メンタルが限界を迎え、新宿の公園で泣く。運営2年目へ

明大メディアの他に、僕は2年生の終わりまでに、今すぐ叫びたくなるような黒歴史がいくつか残していました。

 

もちろん自分にも恐怖心、羞恥心、躊躇いなど人間らしい感情の機微はありましたが、何かしらのインフルエンサーに、何者かになりたいという欲望が強すぎて、それを意図的に全無視して突っ込んでいました。

 

そうやって、たくさんの挑戦を行い恥をさらしまくった僕はどうなったのかというと…残念なことに、2年生の2月時点で僕は何者にもなれていませんでした。

 

今思えば、もっといろんな人から考えを聞いたり、頼ったりすれば良かったなと思います。広告研究会、学祭実行委員会、大学生協、協議会、就活支援の無料カフェ、長期インターンなどで不特定多数の人と会っていれば良かった。そもそも大学でラグビーを準体育会でいいから続けるべきだったのかもしれません。その他にも、無限の選択肢があったと思います。

 

明大メディアだって、もっと早く人数を増やして、ダメもとでも企業に営業していくべきでした。

 

それでも僕は視野が狭いなりに精一杯を尽くしていたんですが。

 

そして、だからこそ、2年生2月時点で自分自身が「大学1,2年生をいろいろやってた、なんか変な奴」で終わりかけていたことは、深刻な問題でした。さらには、このまま変なだけの奴として、3年生になって、4年生になって、大学生活が終わる結末すらありえてきました。

 

そうすると、もう一人の僕がささやいてきます

 

「あ~…君はけっこう努力して行動したんですね。」
「でも、残念。あなたは能力もないし、才能もない。」
「あなたは一生、日の目を見ることはないでしょう。」

 

結果が伴っていない事実は静かに僕をのぞき込んでくる。避けることができないバッドエンドに導かれているような、そんな寒気がしてきました。

 

そうやって少しずつ蝕まれていた精神は、新宿中央公園でサークルの友人に誘われて飲んだ時に限界を迎えます。

 

自分が何者なのかわからない。2年経っても結果が出せない。

自分の存在がいつまでも証明できない、担保されない

靭帯断裂して、ラグビーを諦めた意味は?

松葉づえつきながら、独りぼっちでリハビリした意味は?

いけすかない駿台の先生と野郎どもに頭下げながら、死ぬ気で一人で勉強した意味は?

私文の大して変わらない大学に行くために、付属推薦の学習院を蹴った意味は?

自分のコミュニティでありアイデンティティだった、ラグビーを大学でやめた意味は?

その他にも恥を捨てて、全てに挑戦して、圧倒的に努力したのに?

なんだこのざまは?コロナのせいなのか?

違うだろう。それは、自分が無能だったからなんだ。

 

これらの感情をまくしたてた記憶があります。過去の選択に意味があったと言えるほど、当時の自分には、納得できる結果が追い付いていませんでした。明大メディアのTwitterのフォロワーはこの時2700人でした。

 

周りからは、面白がられやばいやつ扱いをされました。「トモヒロは頑張ってるんだね」という声はかけられました。いや、全然ちゃうねんと。

 

ぼくがこの時最も恐れていたものは「結果が出ていない」事実のその先にありました。それは、これまでに書いている、根源的な「自分が何者にもなれずに死んでいくこと」に対する恐怖でした。

 

その思いに共感できる感性をもった人間はあの時の新宿中央公園にはいませんでした。

 

そりゃあ「そうか、自分と同じ悩みを抱えた人間はここにはいないんだ。」ってなりますよね。まあ、いいんですけどね?

 

そうして最悪の気分で帰路につき、ドンキのクライナーとクッキーの混ざった吐瀉物を洗面台に思いっきりぶちまけてふて寝して、また翌朝、僕はまたいつものように駅前のドトールに向かったんですよ。まじおこ。

 

明大メディアがまた新入生シーズンで爆伸びすることはわかっていました。だから、何が何でも、ゲロ吐いてでも一人で結果出してやるよ、と

 

その後、コロナの追い風が吹き続けてくれたおかげもあって、おかげさまでフォロワーは2700人から6400人まで一気に伸ばします。

 

フォロワー6000人。有名人とまではいかないけど、ちょっと自慢できる程度くらいでしょうか。自分としても「まあギリ許せる」くらいの結果にはなりました。

 

20歳として3年生の春を迎えます。

2021.4  就活とコラボであっという間に過ぎた3年生

3年生は正直言って充実していて、あっという間でした。

 

4月から実家を出ました。そこから2カ月浅草橋のゲストハウス、6カ月ユニネストの学生寮で一人暮らし。明大メディアの広告コンテンツにする目的と、自分の好奇心から決めました。

 

就活も始めました。早めに始めたのは、自分が出遅れたくなかった不安もありますが、将来的に明大メディアで就活コンテンツを出したいと思ったためでした。

 

本当にゼロベースから始めたので、色んな企業を調べて、自分のやりたいことを調べて、ESを書き、慣れない面接を受け、グルディスで落とされ、やっとのことでインターンに参加して「なんか違う…」となっていました。

 

新卒就活エージェントのキャリアチケットさん、時間割アプリのペンマークさんの広告を出させて頂くことができました。

 

ヤケクソで就活Youtuberの動画にも出始めました。これはまともな人間からしたら実名顔出しなんて狂気の沙汰のように映るみたいです。

 

まあ、そりゃそうですよね。僕たちは、義務教育でSNSでは「個人情報の流出に気を付けましょう」と念入りに教えられてきたのですから

 

でも、あいにく僕はもともと大学生活には馴染めておらずあまり手に入れてなかったので、失うものがありませんでした。あと、僕ごときの一般人が出たところで、どんなに露出しようとみんな覚えていないんですよね。

 

あとは就活イベントや人材メディアの情勢や新卒マーケットのさまざまな事情を知ることができたことも収穫でした。

 

新歓期間にはフリーペーパー工房さんのユニゲートを紹介させて頂いたり、飲食店を紹介したり、明大祭の宣伝協力させて頂いたり。

 

ユニネスト学生寮の広告も出させて頂きました。また、そこでできた社会人との繋がりから活動がどんどん広がっていきました。

 

夏の終わりに後輩も2人入ってもらったので、今は発信を引き継いでもらおうと頑張っています。

 

ポンポンと話が進んで、人との出会いが増えていきました。

2021.12 本物のインフルエンサーと自由人を目にし、自分の小ささに打ちひしがれる現在

と、これまでが明大メディアに関連する、僕の出来事になります。2年、早かったです。

 

でもインフルエンサーにはもっと素晴らしい才能と努力と思考を繰り返して、何者かになって、経済的に完全に独立している方々がたくさんいます。半年や数カ月でそこにたどり着く人間だっています。

 

上記の文章は彼らからすると、「で?」という内容です。コスパ鬼悪い上に月10万にもなってないんですから。そもそもこのメディアで月100万とか稼げていたら、こんなにウダウダ文章を書く必要などないんです。

 

ここまで偉そうに10000文字も語っておいてなんですが、過程とかストーリーとか気持ちを綴ったコンテンツって需要ないんですよ。プロセスエコノミーだとか言われてますけど。そんなものはない。ほとんどの人間はまず最初に、圧倒的な結果を出さないと始まらないのです。

 

僕は「何者かになりたい」「有名になりたい」という思いが根底のモチベーションの意識高い系大学生でした。今もそうです。

 

しかし、明大メディアが成功したのは、自分の矮小な自己顕示欲ではなく、相手目線の圧倒的な利他の精神によるものでした。

 

「何者かになりたい」「生きる意味を見つけたい」という自分が苦しんできた、根源のモチベーションはとても空虚なものだったと、最近になってやっと、自分の中で認められつつあります。

 

もちろん、だからこそ頑張って続けられたところもあるのですが。これを生きるモチベーションにするのはしょうもないと気づけました。

 

なので、明大メディアは、今後はしかるべき情報と選択肢を学生に与えるという本来の目的に立ち返って完成させていきたいと思います。

 

プライベートにおいても自分がどうなりたいか、という部分ではなく、相手が欲しがっている者をどう満たすかという部分に着目すればおのずと生活が楽しくなっていくんだと思います。

 

もしくは、資本主義の指標に従って、もっと金になりやすくて、フォロワーが増えていくものを探していきたいと思います。

2022.4 明大メディアの今後と、4年生で取り組みたいこと

今後について。僕が引退したら、発信媒体は陳腐化して、クオリティが下がっていくことは間違いないでしょう。

 

後輩に任せて、自分の理想通りに成長し続けていってくれることが理想ですが、それは(今手伝ってくれている2人には申し訳ないけど)難しそうです。

 

自分より主体的に動けて能力がある人間を、自分のもとに置かせることはできない。当たり前なのですが。。そこまでできたら僕はとっくに起業して売却して引退できてます。

 

だから売却ができないか検討しつつ、できなければ仕組み化して工数を減らしつつ、後輩に任せながら卒業後も運営していくという感じになりそうです。

 

明大メディアを作った人間の、明大メディアに関する出来事のまとめでした。他にもみっともなく自分語りしたいことはたくさんありますが、いったん以上とさせて頂きます。

 

ありがとうございました。