小説『億男』が伝えたいことはお金の持つ虚実の2面性である

今回は川村元気の小説「億男」をご紹介します。

 

億男 (文春文庫)

 

「おまえもし宝くじ当たったらどうする?」

 

この妄想が突然実現するところから始まるお金エンタメ小説『億男

 

著者の川村元気は「電車男」「君の名は。」「バケモノの子」など多くのヒットを出す「日本で一番売れっ子な映画プロデューサー」です

 

2012年に小説家としてもデビューを果たし、この作品は川村元気の2作目。

 

億男」は2015年「本屋大賞」ノミネート、累計発行部数66万部のヒット作。佐藤健主演で映画化もされています。

 

この小説について、「結局何が言いたいのか」「伝えたいことがわからない」という声をよく聞きます。

 

僕も読んだ直後はぽかんとした表情で表紙を見つめてしまいました。それでも何度か読み返して自分なりに読み取ったメッセージは「お金の本質と虚しさ」です。

 

それについて紹介します

 

 

 

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「お金がない」ことがいかに人間を不幸にするか

億男」の主人公、一男(かずお)は地域の図書館の司書。30代前半。妻と一人の娘を持ちます。


司書の業務は、毎日代わり映えせず、給料も最低限しかもらえません。そのためいつも生活はぎりぎりです。兄の借金を肩代わりしてしまったため、夜は借金を返すために、工場でパンを詰めています。

 

昇進の見込みも将来への展望もなく、日々のお金に追われる毎日。

 

「もっとお金があったらよかったのに」

 

冒頭から描かれる世界は貧しさと暗さに覆われています。


ある時、一男は「娘にバレエ(習い事)をさせるかどうか」というささいなことで妻とぶつかります。

 

「将来の可能性をつぶしたくない」という妻と「余計な出費を抑えたい」という一男の対立は深まり修復不可能に。

 

娘は妻が引き取ったため、一男は愛してやまない娘と離れ離れになります。

 

「もっとお金があったらよかったのに」

 

お金があれば、習い事もさせられたし、別れることにもならなかったのに。

 

そして、一男は兄の借金返済、妻への仕送りという二重の重荷を背負います。昼は司書、夜は工場。家に帰っても娘はいない。ひたすらの先の見えない労働。

 

そして、彼は心の底から思うのです。


「もっとお金があったらよかったのに」

 

このように冒頭の描写では、「お金がない」ことの悲惨さがとことん描かれます。

 

お金がないということがいかに人間を苦しめるのか、人間にとってお金がいかに大切で必要不可欠であるか。お金の本質の一つの側面を見せつけられます

 

そこから宝くじの当選、親友による持ち逃げ、一男の捜索と続くのですがそこは省略。

 

お金があれば人間は幸せになれるのか?

途中に一男は競馬場のVIPエリアで百瀬という人物に会います。百瀬は九十九の旧友であり、数字の強さを生かして競馬で巨万の富を築いていました。

 

一男は百瀬にけしかけられて、百万円を借りて競馬に挑戦します。結果は大当たりで百万円は一気に一億円へ。

 

一男はそこで大興奮します。持ち逃げされた3億円を諦めてここで引こう。兄の借金も、妻への養育費も払える、娘に好きなものを好きなだけ買ってあげられる、家族で旅行にだっていける。

 

一男の脳内で一億円の使い道を考えて天にも昇るような気持ちになる一男。

 

 

しかし、もう少しと思ってもう一度賭けに出た結果、一男はすべてを失って0円に戻ります。

 

しでかしてしまったことの重大さを後悔し、今世紀最大の絶望と虚無感に打ちひしがれる一男。そこでなんと百瀬は実は何も馬券を購入しておらず、すべてうそだったと告げます。

 

このシーンから学べることはとても深淵なメッセージです。

 

それは「お金がたくさんあることが幸せをもたらした」のではなくて

 

「『お金がたくさんある、と自分の頭の中でのイメージされている状態』が幸せをもたらしていた」ということです。

 

お金があれば幸せになれると思ってたけれど、実際はそうではなかったのではないか。

 

むしろ自分の頭の中でのイメージ、世界に対する「認識」こそが幸福度を左右するのではないか。

 

そのようなある種のお金の虚しさを教えてくれます。

 

他にも巨万の富を抱えながらそれを隠して貧しいけれど幸福な生活を夫としている十和子という女性や宗教団体の教祖として財を成す千住という男なども出てきます。

 

そのどれもが上で紹介したお金の「存在しない」不可思議さを、別の視点から暴いていると考えるとこの小説が伝えたいことが読み取れるのではないでしょうか

まとめ

この小説は「お金があれば果たして本当に僕たちは幸せになれるだろうか?」という問いかけはあるものの、それに対するはっきりとした答えは示されません。

 

ただ何度もこの小説で強調されることは、お金自体が極めて生活に直結する「実」の要素と、頭の中のイメージの中だけにしか存在しない「虚」の要素、この二面性を持っているということです

 

そのお金の二面性を利用して、読者が幸せを追求できるようになってほしいというのが僕が受け取ったメッセージでした。

 

「お金がなくても幸せになれる!」そういう偽善ではなく「宝くじに当たった人間はもれなく悲惨な末路をたどる」なんていうありがちなバットエンドでもない


お金とフラットに向き合ったときに、お金がのぞかせる二面性を読み取り、そこからどのようにして自分の幸福を導き出せばいいのか考えられる

 

とても素敵な小説です。