第一志望にぶち落ちたから大学入っていろいろ考えて動いた【ブログ開設半年経過】

2019年8月22日執筆

2021年4月25日リライト

 

ブログ開設から半年が経ちました。もう半年も経ってしまいました。ブログを半年間続けられたことは少しは喜んでもいいのかもしれません。しかし今の僕の気持ちとしては正直、達成感よりも「もう半年も経ったの!!??」という焦りのほうが大きいです。

 

もう一度言わせてください。もう半年も経ってしまったのです。こんなの焦りしかないでしょう。この半年間、僕は自分なりに必死で生き急いできたつもりです。受験が終わったその瞬間からめちゃくちゃ頑張ったはずなのに。それなのになんだこのざまは。

早稲田の最終日で痛恨のしくじり

まず僕は第一志望の大学に落ちたことで、絶望と後悔、そして相当な決意を胸に大学に臨んできているということを(誰に向けてなのか全くわからないけれど)書かせてください。

 

このブログは僕の最後の受験、早稲田大学商学部の受験が終わった翌日に開設しています。僕は早稲田を目指していて3学部を受験しました。最終日が商学部で、その時点ですでに受けた2つの学部は解けた手ごたえがあまりなかったのでまず落ちているだろうと。それは解いた感覚でわかるものです。そして今まで僕は何をやってきたんだという絶望がチラついていました。

 

だからこそ最後、2019年2月19日、商学部の受験日は「最後に絶対ぶちかましてやる」という気持ちで受けに行きました。このまま終わるわけにはいかないと。僕の努力は必ずなんとしても報われねばならないんだと。プライドは高くされど盲目な、典型的な早稲田志望受験生です。

 

大隈講堂への道の途中は、バイトのチャラついた兄ちゃんがチラシを配っていました。バイトの分際で人生かかってる俺に寄ってくるんじゃねえカスと思うくらいイラついていました。横を通り過ぎると、彼はなれなれしく僕のバッグにチラシをつっこんできました。普段なら愛想笑いしながら受け取ってしまうのですが、わざわざもう一度取り出して道に捨てました。そのくらい余裕がありませんでした。全員ぶっ○してやると、脳内はただそれだけでした。

 

文才がないので臨場感を文章にするのは諦めます。結論から言うと最初の英語で5問セットの問題のマークシートを埋め忘れる痛恨のミスをしました。早稲田の英語は量も難易度も十分に高いので、時間ギリギリなことは最初からわかっていました。それで時間に意識を払い。限界までスピーディに紙を繰り。なおかつ注意深く問題を解いていき。そうしてなんとか時間内で終わったと時計を確認しました。危ねえ危ねえ残り30秒。

 

残り30秒でも最後まで気は抜けません。名前の書き忘れ、問題を全て埋め終えたことを何度も確認します。…よし、よし!…大丈夫だ我ながらうまくできた感じがするぞ(息をつく)(5秒前)。なんとなく視線を紙に戻しそこで(1秒前)

 

 

 

 

5個セットの問題の解き忘れに気づゴーンゴーンゴーン

 

 

 

 

というオチ。

 

今思えばそもそも問題を読むスピードが遅かったとか、単語をしっかり覚えるべきだったとか、過去問の演習が足りなかったとか、いくらでも反省はできます。でもやっぱり本番特有のプレッシャーや焦りというものは間違いなくあってそれで忘れてしまったのでしょう。

 

…あんなに頑張ったのに。…見直ししたはずだったのに。

 

あの感覚は忘れられません。頭の中が真っ白になりました。その瞬間はもう悲しいとか悔しいとか感情が生まれる余裕すらありませんでした。「ァッ」という声にならない言葉しか出ませんでした。

 

「いや」

「え、ウソ。」 

「いやいやいや」

「…まだ終わってない。」

「まだ試験は、終わってない。」

 

必死に平静を装いながら、自分に言い聞かせました。お茶をカバンから取り出し、口に含み息をつきます。そこから先はもう、意地でした。諦めるのはここまで頑張ってきた自分に申し訳なさ過ぎてできませんでした。

 

皮肉なことにそこから国語と日本史はつきものが落ちたように心を落ち着かせて試験に臨むことができました。英語を受ける前のピリピリした感情は一切霧散し、心は澄み切って無我の境地へ。残り2教科はわりかしうまく解けた感じがしましたが、おそらく挽回は不可能だろうと。そうしてチャイムが鳴り、カバンに筆記用具をぶちこみ、忘れ物がないか確認し、椅子をもとに戻し、おびただしい数の受験者の退場の波に流されるようにして大学を出ました。

 

合格発表があるまで結果はわからない。

 

受験ではこういうことがよく言われます。その通りなのですが、僕は解いた手ごたえで結果がだいたい見えてしまっていました。都電荒川線早稲田駅から行列に並び、電車に乗りました。帰りの受験生と一緒にぎゅうぎゅうになってつり革につかまって外を見ながら、英語の解き忘れをゆっくりと記憶から取り出して咀嚼しました。

 

「なにをやってるんだ」と心の底から思いました。

 

もうあの感情は味わえない気がします。

 

 あとはもう自分への言い訳です。国語と日本史はけっこう解けていた自覚がありましたが、それで英語のあの解き忘れをカバーできているとは思えませんでした。「僕が目指した早稲田はそんなに甘いところではあってほしくない」という自分のプライドの高さも含まれていたと思います。もし仮にこれで受かっていたとしても、そんな情けない自分が許せないだろうなと。

 

で、覚えているのですが、僕はその後受験帰りのその足取りで直接、立教大学(第三志望)のキャンパスに向かいました。まだ合格発表はされていませんでしたが、立教にはおそらく受かっているめどはたっていました。生意気なやつです

 

立教大学の緑豊かな校門前でスマホを取り出し、ストップウォッチのアプリを起動しました。スタートボタンを押して、そこから家へ帰りました。そこで考えていたのは

 

「通学時間を少しでも短くしたい。」

「電車と徒歩を使った場合と自転車を使った場合ならどっちのほうが短いだろうか。」

「実際に時間を測って比べてみよう」

 

なんかもうイキってますよね。受験が終わった直後におかしな行動を取って、それをあとで自分で振り返って悦に浸ろうというおかしな中二病に支配されているのです。わかりますかこの感覚。自分をもう一人の第三者が見ているような感じになる中二病特有の症状です。

 

第一志望校を受験した帰りに第三志望校のキャンパスに寄り道して、家までかかる時間をストップウォッチで計測しながら帰る。行動としてまったくの無意味です。

 

そしてその中二病に囚われたまま、「俺は受験が終わったその日からブログを書き始めた」とあとで誰かに(いったい誰に?)自慢するために、帰ってきてすぐにブログを開設したのです。独りよがり極まりないですね。それでもちろん今こんな長ったらしく書いているのも独りよがりなのだから救いようがありません。

 

そうして案の定、数日後に早稲田の不合格を知らされ。第二志望校のM大学に合格し、そちらに通うことになったので、そのストップウォッチで測った記録は使わずじまいとなりました。(当たり前)

ブログを開設して半年経過

受験が終わり春休みからさっそく僕は行動を起こし始めます。まずひたすらブログを書きました。本の感想をひたすら書き起こしたり、本の要約をしてみたり

 anakanonikki.hateblo.jp

tanakanonikki.hateblo.jp

tanakanonikki.hateblo.jp

tanakanonikki.hateblo.jp

tanakanonikki.hateblo.jp

 苦手だったタイピングの練習を始めたりしました。来る大学生活に備えて「大学生4年間でやっておくべきこと」という本を読んで、予習をしました。

tanakanonikki.hateblo.jp

 

「受験が終わったからといって、人生に一区切りなどついていない」

「第一志望校に受からなかったのだから、僕はもっと頑張らないといけない」

 早稲田に落とされた僕はやはり典型的な意識高い系でこんなことを考えていました。

 

自分の大好きなブロガーさんに会いにいきました。オフ会は入学式の日程と被っていたのですが、入学式が終わったあとにすっ飛んでいきました。そのブロガーさんが「意識高い系中島」です。意識高い系だから意識高い系中島に会いに行くという。なんて単純なんでしょう

 

中島について語ると、Twitterサザエさんの「いその野球しようぜー!」の中島を模してネタツイを繰り返している謎のネタ垢でありつつも、中の人がはてなブログにエッジの利いた文章を時たま投稿しているという謎の存在でした。意味がわからないと思いますが大丈夫です。僕もわかっていません。

 

ただ、彼のブログは本当にめちゃくちゃ面白くて、たまたま彼のブログを見つけた高2のときに見つけてから更新されるたびに追ってきていた大ファンでした。強いメッセージ性と向上心と思想が文章から滲んできていて「僕もこのままじゃだめだ」と思わせてくれる、背中を押してくれる存在でした。入学式の帰り、池袋の貸会議室で実際にそのブログを書いている人に会えて、とても感動したことを覚えています。そして僕は今でもその背中を追っています。

 

話を戻します。

 

4月の入学式では隣の人に話しかけてみました。工業高校出身でプログラミングを少し勉強していた、などということを聞きました。そこでどうやってプログラミングを勉強しているのかを聞いたら、PROGATEというサイトがおすすめだと教えてもらったので帰ってからすぐにアカウントを作りました。

 

四月は大学がオリエンテーション期間で暇だったので空いている時間にHTMLとCSSの教材を少し進めてみたりしました。

 

3月には教習所に通いだし、学校が始まってから少々手こずりつつも夏休みの序盤でゲットすることができました。

 

体育会に入るという選択を却下しました。大学の体育会は、プロを目指す人か、自分を「頑張っている」と思い込むことができてそれなりに楽しくてあと就活で多少有利になりたい人が行くものだと僕は思っています。僕にプロになれる実力がないのは自明だったし、体育会でもないのに中途半端に続けて自分のリソースをつぎ込むのは賢明ではないと思ったのできっぱり足を洗うことにしました。(それで途中ラグビーがどうしてもやりたくなって苦しむことになるのですが)

f:id:tanakanonikki:20190822204001p:plain

僕の4月の予定表

4月はこんな感じで片っ端からサークルや部活の新歓コンパ、見学会に行きまくりました。そして、いろいろ考えて1つサークルに入ります。

 

専門の学校に通って公認会計士を目指すことを考えたのですが、大学生活勉強に捧げてそれでなんとか給料が保証される生き方は「ロックじゃない」と思いやめます。

 

その代わり英語はやらないと、と思って英会話教室に申し込みます。あとで辞めます。

 

バイトもとりあえず結婚式場のウェイターを始めてみます。が4月忙しすぎて説明受けた最初の1回きりでブッチします。

 

そして4月末から施設の利用が許可されたので、大学のトレーニングルームに向かい、誰に言われるでもなく筋トレしだします。

 

…ブログ開設から半年はざっとこんな感じ。そして冒頭に戻ります。

 

筋トレしまくって、教習所通って、ブログ書いてたらもう8月22日。やばい。2019年2月19日から半年も経っています今まで何してたんだクソ。

 

僕はまだ何者にもなっていません。めちゃくちゃ強くなって何者かになって中島を超えてぶちかますために大学に来たのですからこのままでは終われません。引き続き突っ走っていきたいと思います。

 

という感じでざっくりとですが、この半年をまとめてみました。 次のまとめは開設から1年後を予定しています。それまでブログを細々とでもいいから、続けていられますように。

 

ありがとうございました。

 

1年生振り返り

 

tanakanonikki.hateblo.jp

 

 2年生振り返り

tanakanonikki.hateblo.jp