都会の私立中学校に入学させてもらった子供の感想

こんにちは。



ヒデヨシさんのこの記事が面白かったので、それと反対側の「都会(東京)」「私立」の中学校のサンプル1を紹介したいと思います。


田舎の公立中学校に子供を入学させることはリスクなのか - 俺の遺言を聴いてほしい



構成も元の記事になるべく沿って書きます。






僕と同じような環境であっても当てはまらない可能性があることをあらかじめ記しておく。




僕が通っていた人口30万人の都会の私立中学校は、あらゆる覇権争いから隔離された楽園であった。


クラスに特定の権力者はおらず、武力や学力によるヒエラルキーは存在しなかった。


いわゆる


「すべての人に居場所がある」


空間で、自分のクラスのなかにおける立ち位置なんて誰も気にしていなかったように思う。





部活にいそしむ人は多かったが、強制ではなかったし、熱量もそれぞれだった。勉強ができれば一目置かれるが、だからといって「エライ」とはならなかった。


僕はそれが当たり前だと思っていたが、悪の世界の話を聞くと、かなり平和な環境であったように思う。


勉強、部活、どちらもやる、どちらもやらない、勉強部活以外のものに打ち込む、などの選択肢を各々が選び、共存していた。


女の子にモテるモテないの話からも無縁だった。男子校だったからだ。異性の前でカッコつけるといった必要もなかった。みんなありのままの姿で振舞うことができた。


僕はいろんな部活を見学して「先輩が楽しそうにやっている」部活を探した。平凡な動機だ。その結果、僕はラグビー部に入ることに決め、キャリアをスタートさせた。(というかヒエラルキーがなかったのでキャリアという意識もなかった




中学の勉強は難しくなると思っていた。


中学1年の定期テストでは中の上くらいだった。それでも、小学校ではいつも成績はぶっちぎりでトップだったので、少しショックだった。


またラグビーという異文化に馴染むのに苦労した。部活のせいで成績が下がるのは嫌だったので真面目に勉強し続けた。健全だった。


不良は生まれる余地がなかった。校則も厳しめで、いたずらをした生徒はすぐに担任の先生が呼び出して、不良の芽を摘んでいた。


毎年クラス替えがあったが不良は存在しなかったので当然会うことはなかった。部活で少しづつ試合に出られるようになり、勉強は継続して中の上から上の下あたりをキープしていた。


今思うと、ぼくはビビりすぎていたと思う。手を動かさないと不安になるので、授業のノートをもう一度別のノートに書き写したりしていた。中学受験モードは抜けきらず、自分が中学の勉強についていけなくなるのではないかとムダにビビっていた


僕の学校は授業の毎時限ごとに遅刻をつけた。(つまり一日で最大で6回遅刻できるのだ。)時間に厳しい校風だった。


授業を聞かず机に突っ伏して寝る人はたまにいた。でも、それは授業態度で減点したり、注意してこない先生を選んでいた。


ましてや、授業をサボる人はいなかった。


ルールは守るべきものとして存在していた。破れば捕まり、反省文を書かされるなどのペナルティを課された。喧嘩はめったに起きなかった。


僕は(自分で言うのもなんだが)真面目だったので、親に心配されるようなことも少なかった。


先にも述べたが、テストで一番でなかったことにはじめショックを受けた。「自分が一番デキて当たり前」ではなくなった。自分よりデキるヤツがいるのはやっぱり刺激になるものだ。


通知表を見せれば基本「お、いいじゃん~」という感じだった。僕が一番でなくなるのも想定内なようだった。多少悪くても叱られたりはしなかった。「常に一番を目指せ」的な指導方針だったら自我が崩壊していたと思う。


親から勉強しろ、と言われることもなかった。ありがたかった。


ただ1年生のころは部活の後片づけで帰る時間が遅くなって「もうちょっと早く帰れないの?」と言われたことがあった。それでも学年が上がるにつれて帰る時間も早くなっていったので問題は解消した。

環境


環境はとても恵まれていた。お酒やタバコなどの道を外れる人はいなかった。


落ち着きがない人はいた。それに感化される人はいたが、せいぜいグループは5~6人程度にしか膨らまなかった。


ルールの壁は厳然として存在することはみんなわかっていた。歯向かっても損するだけだと。評価が下がったり、先生から目を付けられたりしない程度にふざけていた。


「勉強デキるやつはエラい」という価値観はなかった一方で「勉強しないやつはエライ」という価値観もなかった。少しばかり成績が悪いくらいなら授業態度や提出物によって救済してもらえた。


ただ、成績や態度があまりにも悪く、本人に改善の意志が見られないような人もいた。そういう人は学年が上がったときにひっそりと消えた。「退学」は可能性としてありえるということが示されていた。


まとめ 私立の意義


僕はこれが普通だと思っていたが、ヒデヨシさんの記事を読むと自分は「リスク」の少ない時間を過ごしてきたのだなと感じた。


入学試験は「勉強がどのくらいできるか」で選別がなされる。これは偏差値による輪切りだとか批判されることがある。


しかし、中学の勉強についていけるだけの最低限の学力をチェックする必要がある。ヒデヨシさんのいう小学校の勉強にはちゃんとついてこれる人を集めるのだ。その意味で中学受験は有効だと思う。


また不良は勉強ができなくて、自分を主張できなくなった人がなるとヒデヨシさんは記事で述べている。そのとおりだと思う。


受験を通過した人は「人間がデキている」人が多い。主張などしなくても、自分の存在を認めてもらえる環境に育ったからだ。(公立は人間がデキていないとは言っていない)


他人を否定しないと自分の地位を確認できない不安定な人が、ふつうクラスには何人かいるものだ。それは本人が悪いというより、その環境によるものなのだろう。


しかし私立の中学に入って、そのような不安定な人が中学に入って極端に減ったと感じた。


「小学校の勉強にちゃんとついてこれた人間」と「子供に勉強させることができる家庭環境で健やかに育ってきた人間」を集めるという側面が中学受験にあると思う。


だからそのようにして集められた人間は道を外れにくい。


多感な時期を「リスク」の少ない環境で過ごせることが「都会」「私立」の中学校の強みだと思う。



以上です。

ありがとうございました。